なんのために人は生きているのだろう。何が僕は得意なのだろう。

24時間テレビとバリパラからフリーな意識を獲得する

 

毎年恒例となった24時間テレビの裏でこんな番組が放映されていた。ネットでは結構話題になっていたらしく、検索するといろんな書き込みを読むことができた。僕自身はフェイスブックの知人の投稿で番組の存在を知った。

このNHKのEテレで放映されている「バリパラ」は以前勤めていたヘルスケア系の会社で、一緒に働いていた保健師さんが好きな番組として教えてくれたことがあって、たまに見たりもしていた。今回の番組でもそうなのだが、いわゆる世にある障害者のイメージを良くも悪くも一新してくれる。

実際の番組の内容は以下の通りだ。NHKさんはブログへの直リンクを許していないようなので(オリンピックではそうだった)、YOUTUBEからの映像。

 

NHKらしからぬ切れ味で裏番組である24時間テレビをぶった切っているのがわかる。

まあ、NHKだろうが民放だろうが「同じ穴のむじな」であることには変わりはなく、そういう意味ではテレビというメディアが行っている「自虐放送」と言えるかもしれない。

ただこれを紹介した知人のフェイスブックのコメント欄には「(24時間テレビも)そんなに悪い番組じゃなかったよ」と書き込む人もいて、受け取り方も人によってさまざまなんだなという認識を新たにした。

さて、24時間テレビにしろ、バリパラにしろ、そこに何か問題があるのだろうか?

問題があるとすれば、バリパラの中でも語られているように、本人の意思と全く反した内容が流されていることだ。今は映像の編集技術が発達しているので、うまく継ぎ合わせれば本人がまったく口にしていないこともさも本人が語ったように見せかけることも可能だ。

かつてかんべむさしというSF作家がその辺を皮肉たっぷりに短編小説に書いたことがあったけど、だいぶ前に読んだのでタイトルは忘れてしまった。かんべ氏は元広告代理店勤務から作家に転身した人で、メディアをネタにした作品も多い(そしておもしろい)ので、一読をおすすめ。

話を戻すと、24時間テレビに限らず一般庶民はテレビや新聞、ラジオ等で流されている情報を「現実そのもの」と認識しがちである。

ところが実際は「番組」には製作者の意図が隠されている。それはニュースといえども変わらない。百歩譲ってもそれは「他人視線の現実」である。世界のどこにも「客観的な視点」は存在しない。

最近はテクノロジーの進歩でいろいろなモノや技術が出てくるようになった。あまりにも短期間にこれまでにないようなものが出てくるので、中には警戒感を抱く人も少なくないと思うが、むしろ昔から面々と続くものの中にこそ、危険なものが隠されているという見方もある。

いずれにしろ、情報は鵜呑みにせずに自分の中でうまくかみ砕いていくこと。そういう姿勢がこれから先より一層たいせつになってくるのかもしれない。