なんのために人は生きているのだろう。何が僕は得意なのだろう。

人生は何通りあるか

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真名圭史著「非物質ガイドとの探索(3)」を読んだ。

タイトルの通り、いわゆる精神世界(スピリチュアル)でいうところのガイドと共に上の世界を探索していろいろな知見を得ていく的な本だ。全3冊。

その中でも気になったのが最終巻の(3)なので、その話をする。

話題は「世界線」である。あまり馴染みのない言葉だが、馴染みのある言葉で置き換えれば「並行世界」、「パラレルワールド」である(厳密に言うとちょっと違う)。

パラレルワールドと言って思いつくのは、「今、自分がいる世界と並行して違うバリエーションの自分がいる世界」ということになろうか。多少個人差はあると思うが、おおよそこんな認識だと思う。

ところがこの本の中の「世界線」はちょっと違う。

違うバリエーションの自分がいる世界、というところは一緒だ。ちがうのはその並行世界がいくつかの点で交差している、というところである。交差しているポイントで時として「世界線」が乗り換えられてしまうことがある。Aという世界で生きてきた自分が気づいたらいつの間にかBという世界(線)にいるといった具合である。

当然のことながら自分はそのことについて無自覚である。実は世界線が入れ替わった時点で各世界線の間で「記憶のすり合わせ」が起きる。Aの世界にいた自分の記憶はBの世界の記憶に置き換えられ、Bの世界に移った自分はAの世界の記憶がなくなる。だから自分はずっとBの世界の住人だと思っている。

世界線を乗り換えたからといって、それまであったAという世界がなくなるわけではない。また未来のどこかでAとBが交差して、Aに再び戻ってくるということもあり得なくない。

他にも興味深い記述があって、たとえある世界線同士が交差することがなくても、世界線は他の世界線の影響を相互に受けているらしい。ある世界線で起きた出来事が縁になって、今いる世界線で起きる出来事というのもあるらしいというのである。

では、何故そんな複数の世界線があるのか。

本によれば「いろんな人生のバリエーションを経験するため」らしい。例えば今、僕はA社を辞めてB社にいるけど、辞めなかったらどうなっていたのか。その辞めなかったバージョンの自分が他の世界線にいる。他にも〇月〇日に××に出かけたけど、行かなかったバージョンの世界線もどこかに存在する。人生のバージョンの1つとしていろんな側面を経験している「ほかの自分」が存在している。

しかしながら興味深いことに、どんなに世界線があっても共通して起こるイベントみたいなものが存在するらしい。例えば結婚する、とか、子供が生まれるなどというのがそれにあたる。人との出会いなんかもそういうものらしい。

更に面白いことに、人は誰しも生まれてやがて死んでいくが、これもまた共通イベントらしい。つまり、90歳で死ぬバージョンの自分と30歳で死ぬバージョンの自分は両立しないのだ。90歳で死ぬとなれば、どの世界線(パラレルワールド)の自分も90歳で死ぬ。

これは普段、自分がやっている四柱推命の視点で見ると非常に納得がいくのである。他の占い師(というか四柱推命をやっている人)はどう思っているのか知らないが、少なくても僕視点では「やはりそうか!」と思わず膝を打ってしまうくらいのこと。ある人の人生というのは世界線(パラレルワールド)を通じてしゃぶりつくされているんだね、きっと。

ちょっと長くなってしまったので、これについては稿を改めて続けることにする。