なんのために人は生きているのだろう。何が僕は得意なのだろう。

人生は何通りあるか(続き)

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前項「人生は何通りあるか」では、真名圭史著「非物質ガイドとの探索(3)」を通じて世界線(パラレルワールド)の話をし、そこではいろんな人生のバリエーションが展開され、しゃぶりつくされていると書いた。それがまた四柱推命という占いと合致しているとも。

ご存知の方も多いと思うが、四柱推命は人が生まれた生年月日(時)を通じて、その人の一生を占おうとするものである。東洋占術の世界では「命」の占いと呼ばれていて、同じ「命」の占いには紫微斗数とか、西洋系の占いでは占星術などがそれに該当する。

その「命」の占いでよく議論される話題が「同じ生年月日に生まれた複数の人間は果たして同じ運命をたどるのか」というやつである。想像がつくように実際はおそらく全く同じにはならない。しかしながら・・・

この「・・・」に続く内容は前項をお読みいただければおおよそ察しはつくと思う。

まず、どういう解釈がなされるにしろ、人生のメインイベントなるものが存在している。

それは前項でも触れたように、結婚とか出産とかいうやつである。四柱推命でも相手があることではあるけれども命式から読み取ることができる。あといつ死ぬかもだいたい読み取れることになっているが、これは占い師の間ではいたずらに不安を煽るものとして禁忌とされている。でも実際問題は読み取れる(はず)だ。そんなに追究したことはないけれども。

話はかわって占い師によって当たったり当たらなかったりするのは、占い師自身の技量の問題と言ってしまえばそれまでだが、たとえ前提知識があっても間違えるのは読み方を誤るからである。

何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、例えば四柱推命で使われる「正財」とか「偏財」という星がある。これはある解釈では「お金」を指すこともあるし、別の解釈では「父親」であるし、また別の解釈では「(男性にとっての)恋人や妻」を指す場合もある。こういったときにどれを採用するかが占い師の腕の見せどころではあるのだが、前項の流れで言えばどの解釈を採用するかは「世界線」次第といえなくもないのである。外れた場合、好意的に見ればその占い師は違う世界線のあなたを語ったのだということである。もっとも真顔でそんなこと言っても普通の人は「詭弁」と取るだろうけれども(笑)

前項の内容を踏まえてまとめると、人生の長さと大まかなイベントはあらかじめ決まっていて変えることはできない。ただそこに至る道は選択する余地があるということである。

僕自身は「命」の占いを説明するときは、「命」の占いは車のパンフレットを見るようなものだといっている。四柱推命の命式は車のスペックや機能を説明しているに過ぎない。その車が実際どのような使われ方をするかはドライバー次第。だから実際その車(命式)がどんなところを走るか(どんな人生を送るか)をピンポイントで指摘することは無理である。ただ車(命式)の特性からして、こういうところを走るんじゃないか(運命をたどるのではないか)という可能性の指摘はできなくもない。

世界線(パラレルワールド)は起こりうる未来のバリエーションをしゃぶりつくして、1つの終着点に向かって収束している。そう考えれば「命」の占いが当たったり、当たらなかったりするのも納得がいく。ただし「共通イベント」は読み取れないといけない。それが占い師の腕というものである。