“ARのすべて-ケータイとネットを変える拡張現実” (日経コミュニケーション編集部)
いまさらながら「セカイカメラ」の話。知らない人はなんじゃ、そりゃだろうが、知ってる人はなにをいまさら。
AR(拡張現実)という技術を応用したひとつの形としてiPhone用のソフトとして「セカイカメラ」が登場した。
新しいもの好きがここぞとばかりに飛びついたわけだが、ネットの様子などを見るにそのフィーバー(ふるい)もここにきて沈静化したようだ。
思うにここからが本番だ。例えて言うならブログが流行っていたから、ブログを開設してみたものの何も書きたいことがなかった、みたいな。
セカイカメラ、 流行っていたから飛びついて喜んでエアタグ貼っていたけど、その先を何も思いつかなかった。モノと表現こそ違うが同じような感じなのではないか。
僕自身、正直な話、ソフトを自分のiPhoneに入れたばかりで、あまり使っていないのでえらそうなことはいえないけれど、これで何かをやると考えたときに幾つかのアイデアを思いつくことはできる。それは、今のソフトでできるかもしれないし、できないかもしれない。いろんな掲示板やブログ、Twitterなどの情報からみて、ここは改善する必要があるところではないかというのもなんとなくわかる。けれど、それは僕の主観であって、他の人にとってはそうではないかもしれない。当たり前である。所詮はソフト=道具、であり、その用途を決めるのは人間である。ソフト=道具の機能を把握して、それを使って何ができるかを考え、それを使うのが人間である。ネットの書き込みをみていると、セカイカメラは○○ができないから駄目ソフトだ、という論調の文章をいくつか見かけたが、それは(あえていわせてもらえば)、たかがソフトに期待しすぎ、というものである。所詮は道具、その道具にできることをまずやっていくことが必要なのではないか。それでもここはこうしたほうがいい、というのはある。だけどそれだからだめ、ということではない。
僕が「セカイカメラ」のこと、そしてエアタグを知ってまず思ったのは「これでOL(オフィスレディー、じゃなくオリエンテーリングね)できるなあ」ってことだった。単純にチェックポイントのポストの代わりにエアタグを貼っておくわけである。競技者はiPhone片手にチェックポイントを全部まわるタイムを競う。ただそれだけだけどね^^;
あと思ったのは、エアタグには種類と寿命がいるんじゃないかってこと。要は一口にエアタグを付けるといっても、なにもその辺にいる人全員にみせなきゃいけないタグばかりではないのではないかと思うのである。
例えば、待ち合わせ場所に駅の伝言板がわりにエアタグを貼っておいたとする。そうするとそれをみる必要があるのは、待ち合わせ相手だけであって、他の人は必ずしもみる必要がない。そういうタグは例えばプライベートタグみたいにすればいいと思うのである。そして無駄なリソースを消費しないようにこれもまた駅の伝言板のように数時間後には消去される、とかね。
さきほどTwitter関連のメッセージを読んでいたら、セカイカメラでエアタグ貼っていたら、職務質問されたというのがあった。まあカメラのぞき込みながらうろうろしてたら怪しまれるのも無理ないと思うけど^^; その記事を読んで思ったのは、エアタグを感知したらカメラ覗かなくても通知してくれる機能。あとカメラ覗かなくてもタグが貼れる機能。でもそうしちゃうともはやカメラである必要はないのか^^;
道具に注文つけるな、的なことを前に書いておきながら結構注文みたいなこと書いてしまったけど、まあなんであれ新しいモノが出てきたときはいろいろ試行錯誤するものである。ともあれ、今あることでなにが出来るかを考えるのがなかなか楽しいことだと思うのである。
今思いついたけど、名所の前でタグ貼って、そこで俳句とか短歌書いてみるのも面白いかも。お題となるものにタグ貼っておいて、みつける&俳句・短歌を詠む。これならすぐできる。(^^)v
Nice. A Japanese book about Augmented Reality. I followed this link from a Twitter post on AR. Too bad I don’t speak Japanese. 🙁
cheers,
Chris
Chris,
I added translation function to blog. so I think that you can read in this article.
thanks,
Tomei